週刊金曜日 編集後記

1281号

▼今号から月1回、写真家の小西修さんによる「多摩猫 キセキの物語」の連載が始まった。小西さんは1990年から多摩川で遺棄された猫や路上生活のおぃちゃんたちを支援し続けている。
 昨年11月29日号で、プロローグとして掲載した「多摩猫」最終頁(38頁)の写真説明は、当初「雨の日、小屋の中でおぃちゃんとくつろぐチーチ(♀)。2007年4月に遺棄され、発見されたときはカラスにつつかれ、かつ重度の感染症で瀕死状態だった。その治療の後遺症で右目は失明したが、今も多摩川で元気に暮らす(12歳)」という内容だった。それが、掲載時は「12年間生を紡いだチーチだが、台風19号で行方不明に」と、締めの一文を変更した。読み返すたびに目が真っ赤になった記事編集は、過去に経験がない。
 連載第1弾は、台風19号被害の中、奇跡的に助かった猫たちを取り上げた。以降は長寿猫や伝説の親分猫、身体に障害を抱えたり、ひどい人害に遭ったりした猫たちの、けなげな生き様を紹介する。
 題字の「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」は、宮沢賢治記念館と林風舎の協力で賢治直筆の文字および猫の絵を使わせていただいた。新型コロナウイルスの影響下、「マケズニガンバルニャン」とのメッセージが多摩猫たちから届いている。(秋山晴康)

▼5月の連休は県外ナンバー狩りにあいたくないので、不本意ながら山行はあきらめた。
 家で本を読み、スクラップの整理をずるずるやったりした。今年の本屋大賞を取ったという『流浪の月』(凪良ゆう・東京創元社)は面白かった。性的マイノリティの悩みや、報道と同調圧力の怖さなどが描かれる。
 だが主人公(更紗)の父親(湊)が病で亡くなったあと、母親(灯里)がなぜ更紗から離れていったのかという一点が私にはどうにも腑に落ちないのである。「ではなぜ更紗を産んだの?」と問いかけたくなる。母親の直接の言葉は文中には表れない。読者のみなさん想像してみてくださいということなのだろうか。
 小説の中に、更紗の両親が大好きだという1993年の映画『トゥルー・ロマンス』(監督・トニースコット、脚本・クエンティン・タランティーノ)がしばしば引用される。これは私も大好きな映画。もう4回は観ているかも。オープニングの音楽から沁みる。
 映画では、デニス・ホッパーが息子(クリスチャン・スレーター)を守り、ギャング(クリストファー・ウォーケン)に殺されてしまう。母親の灯里さんは、そんな親子関係をどう観ていたのだろうか。(土井伸一郎)

▼久々に『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』(戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉之尾孝生、村井友秀、野中郁次郎=著・中公文庫)を読みたくなった。本書は、第2次世界大戦における日本軍の六つの失敗を題材とし、日本的組織論・戦略論の問題点をあぶりだしたロングセラーだ。破綻する組織の特徴として〈トップからの指示があいまい/大きな声は論理に勝る/データの解析がおそろしくご都合主義/「新しいか」よりも「前例があるか」が重要/大きなプロジェクトほど責任者がいなくなる〉と記されていて、「想定外」の事態が起きているこの国の現状について改めて考えさせられる。
 平時では通用していたルールが、有事になるとまるで通用しなくなってしまうことを多くの人々が現在進行形で体感している。危機的状況に対する日本の組織の脆弱性も指摘され、政府の対応に不信感や不安感が蔓延している。「我々は一体何と戦っているのか?」と、アベノマスク問題や「#検察庁法改正案に抗議します」など怒りよりトホホな気持ちになる。
 しかし仮に、このまま感染症が収束すれば、画期的な感染症対策となり、それを提唱した厚生労働省の専門家会議は国際的に高く評価されることになるかもしれない。やれやれ。(本田政昭)