週刊金曜日 編集後記

1261号

▼年末になるといつもやろうと思うのが、エンディングノートづくりだ。そして、ありがちだがいつも掛け声倒れに終わっていた。
 エンディングノートの項目とされるものは、相続、葬送、終末医療など。今年は葬送方面の希望を少し具体的に絞り込んだ。自分だけでなく家族の希望も聞き取り、「おうよ、万全よ」と、いくつかのテンプレートを見ながら仕上げようとしたら意外な穴が。「戒名」について詰め切れていなかった。過去数件の送り出し時には住職からいろいろと質問されたが、法事の時以外は耳にしないので全く抜け落ちていた。テンプレは大事だ。
 逆にテンプレが簡単すぎると感じたのは終末医療についてだ。大概は「延命治療を希望する・しない」の二択になっている。そもそも延命治療って具体的には何?少し前にポスターが炎上した「人生会議」もそのあたりのことを医療・ケアチームと話し合っておこうというものだったようだ。だが、実際は要介護の認定が出るまでは、在宅医やケアマネジャーとの接点はほとんどない。どうすんの?次の年末までにはこの項目を詰めたいと思っている。(志水邦江)

▼東京・小平でさまざまな障がいのある小学生~高校生の放課後を支援する活動を取り上げた映画『ゆうやけ子どもクラブ!』(監督・製作/井手洋子)が先月公開された。親との会話さえ成立しなかった子が、この事業所に通い遊びのなかで自然に社会性を学び、人とのかかわりがもてるように。子どもは受容されていると感じることで、変わっていくのだろう。
 映画は40周年を前に、事業所が存続の危機であることも描く。2012年にできた「放課後等デイサービス」制度によって障がいのある子どもの放課後活動の場が増えたが(約1万3000カ所、利用者約20万人)、支援の質の低下が問題となり、18年に障がいの重い子が半数以上いないと収入が引き下がることになったのだ。
 ゆうやけ~のように必要な時間や人員を確保した活動をめざす事業所はもともと運営がきびしい上に、支援の質が高いかどうかに関係なく子どもの障がいの重さを機械的に判定するため、全国で8割以上の事業所が減収となった。ただ映画に暗さはなく、ゆうやけ~はこの危機をミュージカルに仕立てて訴える。この明るさこそが力の源なのだろう。(吉田亮子)

▼株式の大半を所有するオーナー家が存在する新聞社があります。有名なところでは『河北新報』(宮城県)や『信濃毎日新聞』(長野県)などでしょうか。オーナー家の一族が社長に就任する事例も目立ちます。
 バブル経済崩壊まで新聞の広告収入は潤沢でした。経営になんの不安もないため、オーナー新聞社はワンマン経営に陥りやすい、負の側面がありました。しかし、新聞離れが加速するなか、オーナー新聞社のほうが民主的で良い経営をしているという指摘があります。「新聞社が潰れて一番困るのはオーナー家。人事も実力主義で公平」「決断のスピードが早い」
 一方、サラリーマン社長は自らの経営期間だけ考える思考に陥りやすいとも言われます。ただ、新聞社は、民主主義に不可欠な言論機関の中核であり、経営者には言論への覚悟が求められます。
 参院選などで忙殺され、休載していた「『愛媛新聞』と忖度」を再開します。愛媛新聞社は、最大株主ですら約5%しか所有していない「民主的な会社」です。風通しの良い社風に立ち戻ることを望んでいます。(伊田浩之)

▼11月28日に出た「マタハラ訴訟」の東京高裁判決がひどい。マタニティハラスメントを認めた一審判決を覆し、会社の言い分をほぼ採用している。判決文は、産育休をとった女性が問題ある人物だという印象を植え付ける書きぶり。正社員から契約社員への変更は本人の完全な自由意思だから「不利益な取扱い」ではなく、女性が社内の録音をして会社との信頼関係を壊したのだから雇い止めされても仕方がないという論理だ。今後、ハラスメントを証明する手段としての録音が認められず、会社を訴えますよという記者会見をしたら名誉毀損と認定されるなら、労働者はどう身を守ればいいのか。
 男性上司の「(自分なら)俺の稼ぎだけで食わせるくらいのつもりで妊娠させる」という発言を「自己の価値観や家庭観を押し付けようとしたものではない」と判定したことも驚きだ。この阿部潤裁判長は、妊娠を理由とする解雇だと訴えた「ネギシ事件」でも、一審判決を覆し会社に問題なしという高裁判決を出している。女性側に問題ありと印象づける手法も同じだ。「彼にも化石賞を」と言う記者がいたが大賛成!(宮本有紀)