週刊金曜日 編集後記

1249号

▼医学部入試の不正で浮き彫りになった日本の医学界の女性差別だが、前田佳子・日本女医会会長のお話では、根の深さに唖然とする。
 そうした女性差別とも闘った日本初の女性医師を描く『一粒の麦 荻野吟子の生涯』。監督の山田火砂子さんは、日本では現役最高齢の女性監督。対談では、年齢を感じさせない、かくしゃくとした姿が印象的でした。一方で「チコちゃんに叱られる!」(NHK)の大ファンだと、はにかんだように語る横顔は、年上の方に失礼ながら、とてもチャーミングでした。
 主演の若村麻由美さんは、凜としたたたずまいの舞台が記憶に甦る。最近では未来を知り天の言葉を伝える『子午線の祀り』(木下順二作)の巫女、報道の自由への圧力に晒される『ザ・空気』(永井愛作・演出)のテレビキャスターなどだ。もちろん、映画やテレビでも大活躍されている。個人的には『刺客請負人』(テレビ東京)の"ファムファタル"とも言うべき「闇猫のお吉」が魅力的でした。
 そんなお2人がタッグを組んだ映画は、10月26日よりロードショー。乞う御期待!(山村清二)

▼本誌編集部からもほど近い東京国立近代美術館(東京都千代田区)で、「高畑勲展」が10月6日(日)まで開催中だ。いわずと知れたアニメーション監督の巨匠がどんな足跡をたどったのかを見てみたいと思い、行ってきた。
 紙片やノートなどに細かく書き込まれた企画趣旨や制作進行の指示書きなどの数々。「アルプスの少女ハイジ」制作のためにスイスでロケハンしたことは有名だが、『火垂るの墓』でも神戸を歩いて庶民の目線を知ろうとしていた。
 ともかく、どのアニメ作品も膨大な取材、豊かな教養に裏打ちされてあの世界があるのだなー、ということは私にもわかった。
『かぐや姫の物語』は上映当時、2回も観に行った。久石譲の音楽とあいまって、自然の描写がふかく心にしみた。自然描写といえば『平成狸合戦ぽんぽこ』も、里山の表情をこれでもかというほど緻密に、しかも情感をこめて描いていて忘れがたい......。
 高畑作品では未見のものがいくつかある。初監督の『太陽の王子 ホルスの大冒険』(1968年)から通しで観てみたい。(斉藤円華)

▼徘徊団2回目「築地」の夜は暑かった。見上げると国立がん研究センター、その横には朝日新聞社の社屋が建つ。灯りが見える窓もいくつかある。がんと闘っている人たちのふもとで真夏の夜の徘徊となった。
 すでに場内市場は豊洲に移り、現在は更地状態。それを囲むように場外市場のおんぼろ長屋が立ち並ぶ。最終電車が午前1時まえに走り去ったあと、真っ暗だと思っていた場外にポツンポツンと灯が見える。閉店作業ではなく、開店の準備だと知り時間の感覚が少したわむ。
 1回目の「渋谷編」(1241号)にはいくつか意見が寄せられた。「関東に住んでいないので渋谷には興味がない」「あと何回やるのでしょうか? 企画意図がわからず、不安です」。どちらの方もちょっと戸惑っている感じだった。イエス・ノーのはっきりした誌面が本誌には多いからだろうか。そのあたりも粉川さんに今回書いてもらった。2カ月に1回、6回を考えています。そのくらいなら息抜きページとして許してもらえるか。(土井伸一郎)

▼驚くべき勢いで反韓が蔓延するようになった。同時に植民地支配やアジア太平洋戦争での戦争責任を否定する言説も蔓延している。後者の無反省が前者の揺籃となっていることは疑うべくもない。中国で傍若無人にふるまいながら被害者のように「暴支膺懲」と言い続ける戦前の社会は学生時代、本で読んで理屈は分かっても理解しがたかった。しかし今、その光景をテレビや新聞・雑誌でカジュアルに追体験できてしまうことに戦慄を覚える。
 加害への無反省の象徴的なものが旭日旗の扱いだ。韓国側からの会場への持ち込み禁止を訴える声に、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会は会場での旭日旗の使用を容認する姿勢を示したという。しかし、加害の歴史を直視すれば軍国主義の象徴としての役割を果たしたのは日の丸も同じだ。南京陥落の提灯行列では日の丸も旭日旗も振られていた。その意味で旭日旗問題は日の丸問題でもある。戦後の日本社会が日の丸の象徴する加害と向き合ってきたのか。旭日旗の問題として矮小化せずに考えたい。(原田成人)