週刊金曜日 編集後記

1224号

▼愛媛新聞社に大学を卒業した1988年に入社しました。その少し前、『愛媛新聞』と激烈な競争を繰り広げた『日刊新愛媛』が廃刊(86年12月31日)しています。
 入社当時の編集局地方部長は会議で「県庁から変な雑音(『愛媛新聞』は県にあれほど頼っておきながら、『日刊新愛媛』がなくなったら県政を批判するのか)が聞こえてくるかもしれないが、信念に基づいて事実を報じなさい」と明言し、感銘を受けました。
 当時は、局長や部長から記者まで、分け隔てなく仲間であると考える先輩が多く、自分の考えを言いよどんでいると、「同じ編集同人で変な遠慮はするな」などと叱られました。入社からおよそ10年間記者として働き、多くの先輩や同僚、後輩に学びました。取材・批判対象である政治家や県職員、財界人にも育てていただきました。
 その『愛媛新聞』が少しおかしいと最近耳にします。ご恩返しのために取材を進めています。単なる一地方紙の問題ではなく、あなたの地域の新聞を思い浮かべながら、読んで比べていただけると幸いです。(伊田浩之)

▼先日、訪韓した知人が、帰国後に周囲の人々から真顔で「大丈夫だったの」と心配されたという。外務省が2月末、「『三・一独立運動』から100年を記念する行事が予定されていることを踏まえ、韓国への渡航者に注意を喚起するスポット情報をホームページに掲載した」(『産経』2月28日)、以前のことだ。
 知人によれば、ソウルの繁華街は日本人の女性観光客で賑わっていたといい、3月1日に役所が「注意を喚起する」必要があったほどのトラブルも報じられていない。
 だが、知人を「心配」したような人々は、この国の無視できない風潮の拡がりを象徴している気がする。メディアの煽動で、隣国の「反日姿勢」に過敏になっているのか。月刊『文藝春秋』4月号の目次に「日韓断交」の大文字が躍っていたが、ただならぬ時代だ。
 植民地支配の反省どころか、隣国への侮蔑と裏腹に違いない「怖さ」を感じるのなら、関東大震災で「朝鮮人狩り」をした当時の日本人と大差はない。どこまでこの国は劣化するのか。(成澤宗男)

▼NHKニュースがひどくなるばかりなので、送り手の本気度が伝わる民放ラジオのニュース関連をよく聴くようになった。その一つがTBSラジオの「荻上チキ・Session22」。最新のニュースをわかりやすく取り上げてポジティブな改善策の提案を目指している。先月の沖縄県民投票では、実現の大きな力となった若者たちの声を基地賛成派も含めて丹念に取材し、これからの沖縄を示唆するような内容に仕上げていた。
 聴く理由は人によって違うのだろうけれど、ラジオの聴取率が最近上がっているらしい。ラジオを聴くと脳が活性化するという説がある。ボーっと見がちなテレビと違い、言葉に耳を傾けながら画像を組み立て、思考を深めるからだとか。安倍氏の国会答弁もラジオで聴くとごまかしぶりがよりよくわかる。森友問題などと関連付けて聴くからだろう。
 最近感銘を受けたのは、3月4日放送の「SCRATCH 差別と平成」(TBSラジオ)。相模原殺傷事件の被告との対話を軸に、"異者"を線引き・排除する「平成」を見つめていた。(神原由美)

▼2月22日号の本欄で「(電車の)通勤ラッシュにはウンザリ」と書いた。しかし編集部に日々通う以上、通勤を避けては通れない。
 では、もしも自転車通勤したらどうなるか。検討したところ、片道20キロメートル以上、1時間はかかる。編集部近くにバイクステーション(ロッカーやシャワーを併設する屋内駐輪場)も見当たらず、仮に利用できても月額料金が必要。毎日の通勤となれば自転車のメンテナンスも大変だし。
 というわけで通勤ラッシュをやりすごす方法を編み出した。行きは混雑する時間帯を避け、確実に座れる便に乗車。帰りは快速列車ではなく、比較的すいている各駅停車に乗るのだ。これで行きも帰りもほぼ座れて、ゆっくり本が読める。私を悩ませていた苦痛の通勤問題が、こうして割とあっさり解決してしまった。
 もう一つ発見が。快速列車の車内は混み合っていて無言だが、各駅停車ではおしゃべりしている乗客もいる。日々の通勤ラッシュがいかに非人間的か、改めて思い知らされましたね。(斉藤円華)