週刊金曜日 編集後記

1217号

▼「『外国人』なんていう国の人はいない。日本には中国人、韓国人、米国人などさまざまな国の人が住んでいる。そういう多様性を前提にした考え方が十分に確立していない」。長年、外国人労働者問題に取り組んできた弁護士の指宿昭一さんが、インタビューで語った言葉は印象的だ。
 私は日本で生まれ育った在日コリアン2世でオールドカマーだ。日本人と私のようなオールドカマー、ニューカマーを含めた日本に住むすべての人たちが、どうやったら共生しながら暮らしていけるか。そうした発想に立つ日本の人たちが増えていけば、真の共生社会が作れるのではないか。指宿さんの話を聞きながら考えた。
 今号の特集では外国人労働者問題を取り上げた。改正入管法は4月に施行されるが、法律云々以前に、発想の転換が必要だと実感する。問題の解決方法は意外と単純なところにあるような気がする。(文聖姫)

▼あの「3・1独立運動」から1年経った1920年、柳宗悦は『朝鮮の友に贈る書』を記した。そこには、「貴方がたと私たちとは歴史的にも地理的にも、または人種的にも言語的にも、真に肉身の兄弟である。私は今の状態を自然なものとは想わない」「まさに日本にとっての兄弟である朝鮮は、日本の奴隷であってはならぬ。それは朝鮮の不名誉であるよりも、日本にとっての恥辱の恥辱である」という一節がある。宗悦はここで日本の植民地支配に限りない悲しみをもって抗議しているが、そうした時代がとうに過ぎたはずの今、私たちは「恥辱」の極みにいる。戦後にあって隣国への接し方の原則とは、何よりも過去に加えた暴虐の記憶を忘れてはならないということではなかったのか。だが、口にするのもはばかれる罵声を無数の愚か者たちが憑かれたように隣国に浴びせている様は「不名誉」どころではなく、言葉を失う。「恥辱」を「恥辱」と思えないのは、この国の宿痾なのか。 (成澤宗男)

▼年始めの企画としてイラストレーターの佐々木一澄さんの「てのひらのえんぎもの 日本の郷土玩具」原画展が表参道のOPAギャラリーで先日まで開催されていた。昨年末、二見書房から刊行された書籍の原画展だ。本書は日本全国の郷土玩具の歴史やその魅力を絵と文で紹介したもので、見るだけで心が和む。原画展では原画だけでなく、本に描かれた玩具の実物も同時に展示されていて、見比べながら楽しむことができて面白かった。展示は終了したが、連動企画として隣接するギャラリーのショップで、郷土玩具の展示即売会を1月30日まで開催中。
 正月、大分県の宇佐神宮に初詣に行く。この神社の郷土玩具である鳩笛を買いたかったのだが売ってない。在庫を調べてもらったが社務所にもなかった。翌日、たまたま立ち寄った由布院の旅館の売店で一点残っていた鳩笛を発見。ラッキー。年始めから「神恩感謝」なのでした。(本田政昭)

▼年末年始の改元をめぐる報道は、天皇制の不合理と非民主的なあり方を改めて考えさせられた。自分は年号をほとんど意識しないで生活していたのだが、役所関係の手続きをしなければならなくなるとそうもいかない。そんなにこだわるなら、改元にあたっては世間のシステムを優先させて早めに発表すればよさそうなものだが、早めの発表は天皇に失礼(!)とかで昨年中の発表はなくなり、どんどん後ろに下がって今年の4月1日になるという。理由はWindowsの更新に合わせた(『産経新聞』1月5日)、というから訳が分からないが、保守派にも混乱と戸惑いがあるのかもしれない。
 君主一代で元号を変える一世一元は明の洪武帝にはじまる。明の統治システムは管理が厳しく、暗い感じがするが、教育勅語に影響を与えたという「六諭」など専制国家にはお手本になるようだ。民主主義と相容れない制度をいつまで続けるのだろうか。(原田成人)