週刊金曜日 編集後記

1173号

▼笑い話を。病院の待合室。高齢の方々で満席。世間話で賑やかだ。ふと、皆が真顔で言う。「あれ?きょうは○○さんがいないね。具合でも悪いのかな」「心配だねえ」
 実写版に遭遇した。眼科へ行くと超満員。私以外は全員、かなりのご高齢。1時間立ったまま診察を待ったのだが──看護師が順番を呼ぶたびに「いまオレを呼んだか?」と割って入る人。「△△さん、きょうは予定通り眼底検査です」と言われ「違う! きょうは目が血走ってるのを診て」と怒る人。看護師に「きょうはどうされました?」と問われ、「いや、とくに変わりはない」とクールに答える人、多数。じゃあなぜ来た? と心でツッコむ。そして皆、隣の人とすぐ仲良くなり、話し込む。1時間、笑いを堪えるのに必死だった。かつ、幸せ~な気持ちにもなった。大事な「場」なんだなあと。
 人生100年時代、だとか。医療は「在宅へ」を推し進めるんだとか。何か違うよなあ、と考えてしまう一日だった。(小長光哲郎)

▼密かなファンである川上未映子さんの講演が、ベルサール汐留であるというので聴きに行く。テーマは「読書はわれわれの何を作るか」。「読書がなぜ必要か、本など読まなくても充分生きていける」という大学生の投書が話題になったのをうけて、「ぶっちゃけ、本との出会いは縁があるかないかだけの話」、しかし縁があり一度出会うと「コトバが持つ魅力、機能を社会に向けて再構築していく力になる」という。
 去年9月に発行された早稲田文学増刊「女性号」では責任編集をされている。550ページ、背表紙が3センチもある分厚い雑誌は作品がすべて女性という実験的一冊。桐野夏生との対談ではそのことを自問し、次回は男性によるフェミニズムをやりたいんですとの発言に桐野さんが「アラが出る人がたくさんいておもしろい」と応酬。どこを開いてもコトバが蠢いている女性号です。(土井伸一郎)

▼改憲派は「占領憲法」だからけしからぬ、という趣旨の発言をよくする。だが、第1次安保条約は国会審議もなく、1951年のサンフランシスコ条約締結のどさくさにまぎれ、全権6人のうち吉田茂1人が現地で調印した。安保とは、翌年の「独立」後も米軍の「占領」を継続させるのが目的だったからだ。60年の安保改定でも、本質は変わらなかった。安保に付随する日米地位協定も、「占領」継続以外の目的はない。ゆえに首都圏上空の管制権を外国軍隊が握るという、異常極まる事態が永続化している。ところが「占領憲法」と口にする連中に限って、こうした「占領」の継続に一言もないのはなぜなのか。「愛国心」を口にするなら外国軍の「占領」なぞ厭うはずだがそれもなさそうで、安保や地位協定の破棄より改憲が先というのは理解不能だ。そもそも改憲派が「日米同盟」をかくもありがたがるのなら、「占領憲法」こそ大歓迎のはず。護憲派に転じた方が首尾一貫するだろう。(成澤宗男)

▼平昌五輪で朝鮮と韓国の融和ムードが報じられているが、日本の報道はよほど戦争がしたいのか、融和などもってのほかといったような上から目線の論評付き報道が多い。両国の分断の責任は誰にあるのか、考えたこともないような連中が書いているのだろう。
 タレントのような「知識人」が、潜入工作員がテロを起こす、とテレビやラジオで放言するなど、現在の日本社会は、あちこちで敵意と憎悪がばらまかれている。不思議なのはばらまいている連中には自覚がないことだ。自覚がないどころか、自分たちが敵意や憎悪を向けられている被害者であるかのようにふるまう。八十数年前にも「暴支膺懲」という言葉があった。「膺懲」するはずの大日本帝国は惨敗したが、その根本は変わらなかった、というのが昨今の情勢に現れている。歴史が徹底して軽んじられる日本では、先日弊社から刊行された書籍『加害の歴史に向き合う』の内容がますます重要になるだろう。(原田成人)