週刊金曜日 編集後記

1167号

▼「リベラル」という言葉には胡散臭さがつきまとう。自称「リベラリスト」がハラスメントに鈍感な事例もたくさん見てきた。昨年末に政府が生活保護の大幅切り下げを決めた、極右&新自由主義者・安倍晋三首相の「私はリベラル」発言(『朝日新聞』2017年12月26日付)に至っては、「寛容な改革保守」と言いながら、真逆の「排除」の論理を振りかざした小池百合子希望の党前共同代表同様、厚顔無恥(無知)としか言いようがない。小池氏に「排除」された側の枝野幸男立憲民主党代表は自らを「リベラル保守」としたが、「筋金入りの『リベラル』」(小池晃さん)という共産党も含めて、「保守」と「革新」に色分けされていた政治風土に「リベラル」という言葉が中身を伴って定着できるかどうかは、これからだろう。
 18年、「リベラル」圧殺を目論む改憲=壊憲がいよいよ目前に迫る中、久野収さんが強調した(リベラルは)"不寛容に対して戦闘的でなければならない"という姿勢を、改めて肝に銘じる。(山村清二)

▼安倍政権になって"軍国化"が進んでいる。米国からの武器購入費は2012年度の1300億円台から16年度は3・7倍の4800億円台に。42機の配備が決まっているF35は1機147億円、17機配備予定のオスプレイは同114億円。弾道ミサイルを撃ち落とすと称する「イージス・アショア」(陸上配備型イージス)は防衛省試算では1基800億円で計1600億円。18年度の防衛予算は過去最大の5兆1911億円で、6年連続の増加である。
 一方、生活保護基準の引き下げなど生活困窮者には冷酷で、格差と貧困は広がるばかりだ。たとえば"当たるも八卦"のイージス・アショア1基800億円をやめるだけで、保育の充実、最低賃金引き上げのための中小企業助成、妊娠・出産支援強化など、生活・労働・福祉の充実に使える。憲法を変えなくても、安倍政権と税金の使いみちを変えれば私たちの生活は豊かになる。それを隠し、さらなる軍国化を進める改憲の唱導に騙されてはいけない。(片岡伸行)

▼今週号で「にんしんSOS東京」をとりあげている。以前本誌では家族と保守イデオロギーについて特集したことがあり、その類いの団体ではないかという疑義が編集部内で出た。つまり結婚や出産を奨励し、中絶に反対する立場ではないかという疑義である。記事を読めばおわかりになると思うが、にんしんSOS東京は、主に女性である相談者に必要とされる情報と選択肢を提供し、相談者の意思決定を尊重することが方針の団体だ。この姿勢は私が考えるジャーナリズムの立場と近い。あらゆる情報源を排除せず、隠されている情報や考え方を読者に提供して、最終的な判断は読者に委ねるというものだ。しかし情報の送り手が往々にして陥りがちな態度は、「善意」で一定の考え方に染めようとして事実を切りとり、説教までしてしまうことだ。このような「善意」を望む受け手も存在する。無意識の善意や思いこみこそもっとも警戒しなければならない相手なのであろう。(平井康嗣)

▼天皇の退位が来年に決まった。気になるのは護憲を掲げる人びとですら彼への一方的な期待を語ったりすることだ。周りが勝手に天皇の「お気持ち」を推し量り期待を込めて語る。苟も民主主義を標榜する社会で、そんな期待が出ることには嘆息を禁じ得ない。
 大逆事件で刑死した幸徳秋水が死刑宣告の日に作った詩に「罪人又覚布衣尊」という一節がある。「布衣」は官位のない庶民の意。「庶民が尊いと改めて気づいた」という意味だろう。なんとなく、どうしてこんな詩を書いたのか気になっていた。後に秋水の『兆民先生』を読む機会があり、兆民が諸葛亮を「天下古今第一品の人物、我企及すべき所に非ず」と評する一文を知った。諸葛亮の「出師表」には隠棲していた自分がかつて「布衣」だった、と卑下する部分がある。大逆罪で死ななければならなくなった秋水は、死に臨んで師の中江兆民も激賞した忠臣諸葛亮の文章を思い出し、ひそかに反論してみたのではないか、という気がする。(原田成人)