週刊金曜日 編集後記

1166号

▼ここ数年ほどの違和感だろうか。メディア、とくに硬派なドキュメンタリー系テレビ番組のナレーションなどで、頻繁に耳にするようになったフレーズがある。
「○○○の現場に、カメラが入ることを許された」「△△さんへの密着取材が、初めて許された」
 許された。──些細なことかもしれない。でも私はそこに、この表現をおそらく無意識に使っているであろうメディア側の「萎縮」を、微かに感じてしまう。
 メディア批判の特集。もちろん、メディアの端くれである小誌に、そしてその端くれの中で日々あたふたしている私個人に、ブーメランで返ってくることは自覚している。もっと抗えと言っても、人間は弱い。ご多分にもれず私も、どこかで逃げている。たぶん。だから、「許された」から覗く実は弱腰な心情が、気になるのだろう。
 状況はますます厳しくなる。あんた、この先、逃げずにやれるのか?──今回、取材した方々から感じた叱咤に、身の引き締まるを通り越して、震えた。武者震い、のはずではあるが。(小長光哲郎)

▼12月10日、韓国全羅北道高敞に建立された「平和の少女像」の序幕式に行ってきました。「少女像」は高敞邑城の近く、文化の殿堂広場の一角に座っています。
 雨が降ったり、晴れたり......不安定な空模様の中、予定されていた「少女像」前での公演は室内へ。知り合いの先生が踊られるということで楽しみにしていた私としては少し残念でしたが、式典には、元「慰安婦」被害者の姜日出ハルモニが出席されるなど、たくさんの方が集まっていました。
 被害者を置き去りにしての「日韓合意」、そして不誠実な態度をとり続ける日本政府を問う声を聞きながら、日本人の私としてはちょっと複雑な気持ちに......もやもやしたものを抱えながら、今もいます。「歴史を忘れる民族に未来はない」――掲げられた言葉は、韓国と日本双方に向けられているのだと思います。
 ソウルへの帰り道、再び「少女像」の前を通りがかると、そこには黄色い帽子とマフラーを着けた少女が。また会いに行こうと思います。(弓削田理絵)

▼本誌が参加している日中戦争80年共同キャンペーン実行委員会。定期的に勉強会を開催していますが、その中で4人の講演を収録したブックレット『日中戦争から80年 加害の歴史に向き合う』を弊社から刊行しました。
「日本が米国と戦争をした」ことを知らない若者が増えていますが、そもそも日本はあの戦争で中国にも負けたということを認識していない人も多いのではないでしょうか。纐纈厚・山口大学名誉教授の講演からその点を読み解きます。今夏はNHKスペシャルの『731部隊の真実』が話題でしたが、加藤哲郎・一橋大学名誉教授には、その731部隊の戦後の道程を辿ってもらいました。化学兵器被害解決ネットワークの北宏一朗さんは、毒ガスを製造した企業の責任について、同じくNスペで話題になった『戦慄の記録 インパール』同様、拉孟全滅戦について遠藤美幸・神田外語大学非常勤講師が取材内容を発表しました。
 書店の店頭にない場合は、ぜひお取り寄せいただけると幸いです。(赤岩友香)

▼今年の漢字は「北」だそうだ。選んだ理由の一つは北海道の「北」。北海道といえば、札幌在住の知人の剛腕ぶりが話題になっている。電話でやりとりしていて、自分に非があろうがなかろうが、自分の意見を押し通す。そのうち何とか問題が解決すれば、事の経緯はどうあれ用件は終わりである。つき合わされた相手はたまったものではない。電話があると何か用かいと怯え、私はひそかに彼女を北の妖怪と呼ぶようになった。
 漢字に戻そう。もう一つの理由は北朝鮮の「北」だそうだ。奇しくも、かつて小誌にも関わりのあったジェンキンスさんが亡くなった。拉致問題は未だに一向に解決をみない。小泉訪朝時に時計の針を戻して、国交正常化すべきだと思う。対話より圧力ではなく、圧力より対話だ。一方的に意見を押しつけるのではなく、お互いの非を認め合うことから始めるべきだ。
 これから年末年始、「日ごと寒さがつのります」のでご自愛を。次号は1月12日号です。よいお年をお迎えください。(原口広矢)