週刊金曜日 編集後記

1099号

▼トルコ政権によるメディア131社への閉鎖命令。日本も笑えない。気骨あるキャスターの退陣がその懸念材料としてよく引き合いに出されるが、ニュースもワイドショーも司会や出演者は気づけばお笑いやタレントばかり、という点も、ゆるゆると巧みに進められたメディア支配だったと思う。
 筑紫哲也さんが編集委員だった頃。ある人気女性タレントとの対談を企画したことがある。テーマは憲法。私としては、堅い本誌の「幅を広げる」企画意図だった。しかし、表面上はいつも通りに対談をこなしてくださった筑紫さんが、あまり気乗りしてないようにも感じた。「いくらなんでも違うんじゃない?」と言いたかったのではと、今にして思う。そのタレントが都知事選の特番に出演、小池百合子氏の演説が上手だとご機嫌でコメントしているのを見て、私も「甘かった一人」ではなかったかと、苦い気持ちで筑紫さんの微妙な表情を思い出した。あの対談も多事争論の一つだった、とは、今は思えないのだ。(小長光哲郎)

▼負けるとわかっていても、投票にはいく。今のところ棄権したことはない。支持政党はないのでリベラル寄りの「無党派層」という分類に入るのかもしれないが、投票結果のリアルな数字を知るにつれ、多くの人たちが求める「民意」と、個人として社会に望む思いとの落差に愕然とする。たまにグレたくもなるが、そんなときは風に吹かれてみる。
 今週号の「本箱」で『戦争中の暮らしの記録』を紹介した。この本は、一冊すべてを読者からの投稿のみでまとめた戦争の特集号、『暮しの手帖』96号(1968年)を保存版として、翌年、単行本化されたもので、〈戦争のあいだ、人々がなにに苦しみ、なにを食べ、なにを着て、どんなふうに暮らし、どんなふうに死んでいったか、どんなふうに生きのびてきたのか。戦闘の記録ではなく、たくさんの「ふつうの人々」の暮らしの記録〉がのこされている。単行本化から47年、現代まで版を重ねている。
 この夏、『日本国憲法』とともにこの本を読む。(本田政昭)

▼何年にもわたるこの都教委の「暴挙」を、どれだけ真剣に捉えられる人物が都知事になるのか気になっていたのだが......。
 先月24日、「君が代」伴奏拒否などで処分された教員らを支援するコンサート「自由な風の歌」が開かれた。もう11年にもなるという今年のコンサートのタイトルは「憲法をうたう」。以前本欄で既報していた小林和子本誌副編集長も、合唱団の一員として舞台上で故・林光作曲の「憲法前文」を歌っていたが、最後の全員合唱の時だった。舞台と600席満席の会場が力強い歌声で満たされたのだ。それは「アチミスル・朝露」という韓国民主化運動の歌。フォーク歌手キムミンギが当時、朴正煕大統領の軍事独裁政権打倒の道を歩みだす決意を歌い、以来闘いの場で歌い継がれているという。その時は歌の由来も知らず初めて聞く「アチミスル」になぜか引き込まれていた。裁判を支援するということは、ある意味闘いでもあるのだ。曲の持つ「力」にも感動したコンサートだった。(柳百合子)

▼七月期は振り返ると全話見ているドラマが無かった。一応十タイトル以上は見た上での話なので、ドラマ愛の夏枯れなのかも。
 ほぼ想定内な感じの中、新鮮だった「こえ恋」。漫画原作のドラマで紙袋をかぶった松原くんをめぐっての高校生の恋模様。声の素敵な松原くんの「こえ」はおそ松さんの声優の櫻井孝宏さんが担当ということで一部ではかなり盛り上がっていました。ほんと声は大事と改めて確認。今のところの好きな声は諏訪部順一様ですが(ごめんなさい)、櫻井さんの優しい声に癒されています。あり得ない設定もなんとなく違和感なく受け入れられるのはよくできている証拠かな。しかし声じゃない文字通りのイケメン枠がどのドラマでもはずれなしなのはいい時代だ。
 原田知世の映画の印象が濃い身には違った意味で驚いた「時をかける少女」。時間が軽すぎる展開についていけず、大きな結末が待っているのを期待して最終回だけまた見る予定です。(志水邦江)