週刊金曜日 編集後記

1085号

▼被害者の苦痛は、「どこまでいっても到底わかり得ない」――。長年、元日本軍「慰安婦」の支援を続けている梁澄子氏は、このように発言している。重すぎる言葉だ。だからこそ「慰安婦」問題とは、何よりも被害者の側に立って論じ、行動せねばならない。他者がうかがい知れぬほどの苦しみを経験した当事者を差し置いて、何をなしえよう。だが、彼女たちが『帝国の慰安婦』の著者を「名誉毀損」で訴えた際、「名誉が傷ついたとは思えず」とする「声明」が昨年出た。当事者が「傷つい」て訴えたのに、彼女らの苦しみについて本来想像が及ぶはずもない他者が「思えず」という表現を使うのは、理解を超える。そしてこの3月28日、「声明」に賛同した何人かが加わった同書の評価をめぐるシンポジウムに参加した。これまでの本誌の姿勢と同様、その賛否については「中立」で臨むことはできない。「思えず」とする「声明」が、同書の賛辞から始まっているのは、偶然ではないはずだ。(成澤宗男)

▼「川内原発異常なし。自動停止には至らず通常運転」をことさら強調するニュース報道に違和感。
 自然災害に異常なしは通用しない。福島第一原発は、自動停止に関係なく突然水素爆発。安全と宣言していたにもかかわらずだ。そして今なお誰一人責任を取らない。
 川内原発は即刻停止すべきだ。この地域の最大震度は、5弱であり、原発に影響は与えないとし、免震棟を省いて昨年再稼働を強行した。福島の被曝線量になんの根拠もないと宣った大臣がいたが、彼女の言葉を借りたら、その安全神話になんの根拠もないだろう。自然災害がどんな周期や大きさでやってくるかは、予測できない。
 九州で初めて観測された震度7の地震。100年ぶりの直下型地震の連発は、想定の範囲内なのか。
 戦時、犠牲になるのは、それを始めた為政者ではなく、なんの関わりもない若者であるように、原発震災時、危険にさらされるのは、それで利益を得る者ではなく、そこに住む地域の人びとだ。(尹史承)

▼学者・研究者の仕事とは一体なんだろう。今週号の特集で紹介した、朴裕河という日本文学研究者の書いた『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版)をめぐる討論集会。その内容は本誌を読んでいただくとして、この本に意義を見出す「学者」の人たちの論理には唖然とした。事実を前提にして分析や評価をするのが学者・研究者の仕事だと思っていたのだが......。
 批判する側が「この本は事実を無視するか操作しており、歴史研究として破綻している」などと、具体的な記述を挙げて指摘ないし質問をしているのに、まともな答えはなかった。まるで、事実かどうかを差し置いても重要な何かが、この本にあるかのような物言い。北原みのりさんが「間違ったテキストを前提にして議論を深めることはできない」と指摘したが、その通りになった。被害者を傷つけたこの本は議論に値しない代物だというのが答えか。その意味で、討論は有意義だった。(片岡伸行)

▼沖縄県の最西端にある与那国島。この沿岸海底で4月11日、稲川宏二さん(享年49)の遺体が発見された。前日の午後カタブル浜近くで貝採りをしていたというが行方不明になり、捜索中だった。与那国では3月28日に陸上自衛隊沿岸監視隊の入隊式が開かれたばかり。稲川さんは花酒・泡盛の老舗酒造所の杜氏であり、地元有志でつくる配備計画への反対グループ、「与那国島の明るい未来を願うイソバの会」の共同代表だった。3月30日は東京で開かれた抗議集会に参加(本誌4月8日号で既報)。4月8日「イソバの会」のブログでこう綴っていた。<与那国島の住民はマスコミの報道にあるような「中国軍の脅威」など微塵も感じずに暮らしている><この認識は基地を誘致した町長、町議会、防衛協会も共通している><このままでは戦場が先島諸島になりかねない><沖縄を切り捨てないでほしい><連帯して声を上げてほしい>。この言葉の重みを想う。(内原英聡)