週刊金曜日 編集後記

1076号

▼「あまりにもタイミングがよすぎるし、それにましてメディアの扱い方が異常」。ベッキー、清原、宮崎に関する報道について、この1カ月間ほどでそんな声を多く聞いた。何年も前からわかっていたといわれる覚醒剤逮捕がなぜ今なのか。たしかに「不倫」や「覚醒剤」は問題だろう。しかし個人の所業より、国の根幹にかかわる問題の方が重要なことは明らかだ。
 逮捕されたり謝罪したりした人間に執拗に"メディアリンチ"を加えながら、くり返し憲法違反を指摘される安倍政権への追及は手ぬるい。業者のカネを懐に入れ、政治の公正さをゆがめてもなお議員の椅子に居座る甘利明(前経済再生大臣)の方がより悪質だろう。さらに、「下着ドロ」疑惑の遠藤利明(五輪大臣)の新たな口利き疑惑や、高市早苗(総務大臣)のメディア弾圧「電波停止」発言、丸川珠代(環境大臣)の原発事故被害者を愚弄する「1ミリシーベルト根拠なし」発言もある。今夏の参院選に向け、国民の疑問と怒りの矛先を変えようとする情報操作=目くらましなのか。日本のマスゴミの習性なのか。 (片岡伸行)

▼数年前、マレーシアと陸続きのイスラム教国ブルネイを訪れた。礼拝所にいた地元男性が観光案内をしてくれたのだが、驚いたのは別れ際に腕をnまれたことだ。しかも彼はとても嬉しそうだった。
 最近、これと似た体験をした。日本に住むシリア人男性に指を噛まれたのだ。聞くと、嬉しい時や楽しい時など感情が高ぶった時に、噛むという。同性同士でも噛みあうとか。男性はシリアから日本に逃げてきた。現在、米国がシリア東部の飛行場を軍事目的で拡張中(32〜33頁参照)だが、彼は現地に知人が多い。現地住民の多くはトルコやイラクに逃げているという。彼がスマートフォンでニュースを見る表情はいつも険しい。
 一方、混迷を深めるシリア情勢を前にしても、日本は難民にほぼ門戸を開かない。日本に対し彼が時に見せる諦めにも似た言葉や孤独は胸に刺さる。こんな状況だが、感情が高ぶるほど楽しい時間をひとときでも共有できたのは日本人としての私のわずかな救いにもなった。が、日本の状況を変えるにはどうすればいいのか。胸に刺さった課題は消えない。 (渡部睦美)

▼「声を聞けばわかるもんな。ああ、この人はこういう性格で、こういうものを食べて、こういう生活をしているんだなって。憎いけども、感じてしまうんだ。たぶん当たっている」
 ほんとうか? と、思わず、その超能力をもたらす耳がいったいどんな形状なのか、まじまじと見てしまった。何の変哲もない、ふつうの耳のようだが----。
 御年101歳のむのたけじさん。80年のジャーナリスト人生のなかで、数えきれない人と名刺交換し、話を聞き、原稿を書いてきた、まさに年輪を重ねた人。発する言葉の一つひとつに奥行きと重量を感じた。とりわけ印象的だったのが先の言葉だ。
 悩める駆け出しの政治家、佐藤梓さんはこれに飛びついた。「私はどんな風にみえますか?」と。
 その返答がまた、むのさんらしいというべきか。
「ふぁっふぁっふぁ、こんど教えてあげる......」
 まだまだ現役続行のようである。以上、紙幅の都合で本編に入らなかった番外編。 (野中大樹)

▼天皇のフィリピン訪問について「天皇夫妻は安倍晋三とは違って戦争への反省がある」とえらく持ち上げる人がいたので訪比にあたっての「お言葉」を読んでみた。「先の戦争において,フィリピン人,米国人,日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては,膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました」「貴国の国内において日米両国間の熾烈な戦闘が行われ,このことにより貴国の多くの人が命を失い,傷つきました」など、まるで天災がフィリピンの市民の命を奪ったかのような独特な表現がなされた「お言葉」には、日本の侵略戦争への反省の気持ちは感じられない。本当に戦争責任に向き合うつもりならば、「誰が戦争を起こしたのか」、「誰がフィリピンの市民を傷つけ、殺したのか」という責任の所在は、最低限はっきりさせなければならない。それが欠けている「お言葉」がもてはやされる社会で、原発事故をはじめとしたさまざまな問題の責任が曖昧にされるのは、必然と言えるだろう。 (原田成人)