週刊金曜日 編集後記

1071号

▼ファンだった女優が映画の中で走る場面を見て、幻滅したことがある。走る姿にはその人の魅力の「地金」が出てしまうのだと思う。
 走る姿で魅せた役者といえば、私の中では『太陽にほえろ!』のタイトルで破茶滅茶に全力疾走する萩原健一。『プロポーズ大作戦』での山下智久。伊丹十三の映画『タンポポ』の井川比佐志(役名が「走る男」)、映画『眠らない街 新宿鮫』の松尾貴史も印象的だった。
 こんなことを考えたのも、年始の帰省時にアルバムを見ていて、中学時代の体育祭での写真を見つけたから。大柄な同級生と私が一緒に走っている......ん? 違う。よくよく思い出せば、リレーで見事に抜き去られた瞬間なのだ。仲が良かったそいつは陸上部で、抜き去るとき「小長光、お先っ!」と叫んで風のように駆けていった。そのフォームの美しいこと。一方でこっちは無残な走り姿、自虐的な笑みさえ浮かべている。私という情けない人間の地金が出まくっている、というわけか。ったく、こんな瞬間撮ったの誰だよ。
 そういえばもう何年も全力疾走、してないなあ。 (小長光哲郎)

▼3Dプリンターで、月面に基地を作る。欧州宇宙機関が、2030年に、月にコロニーを作る計画を発表した。3Dプリンターで、月の表面の土壌を材料に、ロボットで作業するという。エネルギーは太陽光である。これまでにも3Dプリンターを使い、建物を作った例がすでにある。
 3Dプリンターで、さまざまな製品を製造することが可能になってきた。3Dプリンターを使い、消費者が生産者になる日も近い。情報がインフラとなるのに伴い、生産手段、エネルギー、ロジスティクスの転換が起こる。第四次産業革命と言われる、情報産業の時代にすでに突入している。
 テクノロジーとしての情報は、資本主義とは相容れない。稀少性の確保のために情報を独占することはできないからだ。フリーの情報が溢れ、共有化によって技術が更に進む。『限界費用ゼロ社会』の到来である。著者リフキンは、今世紀半ばに、市場を中心とした資本主義が終わり、公共を中心とする、共有、協同の経済が始まるという。「ポスト・キャピタリズム」の時代の到来である。 (樋口惠)

▼昨年から、「くらしの泉」コーナーで連載している1ページコラムのKindle化に取り組んでおります。これまで斉藤賢爾さんの『お金のギモン! 何で私に聞くんですか?』、太田佐惠子さんの『どうする? 親の介護』、岡田弥生さんの『草の根歯医者のひとりごと』の3タイトルを、アマゾンKindleストアから発売しました。
 今年もあれやこれやと発売予定ですので、読み逃した連載や、もう1回読みたい連載がある方は、ぜひともチェックしてみてください。価格はどれも300円(税込)と、お買い求めいただきやすい設定になっております。「Kindle持っていない」という方も、これを機会に(?)、紙の本とは違う利便性に目を向けていただけたらと思います。
 年が明けると、いっせいに電力自由化の予約受付が始まりました。これが社会がいい方向に向かうきっかけになればよいのですが、なかには「なぜ?」と思うような会社も参入していたりして。消費者の選択眼が試されているような気がします。 (渡辺妙子)

▼被害者不在の日本軍「慰安婦」に関する日韓「合意」。「最終的かつ不可逆的に解決」と言っているが「最終的解決」などという言葉を使う神経にも驚く。もっとも記憶の虐殺をもくろむ人には自然な用語選択なのかもしれないが。
 被害者無視の姿勢は日本社会で蔓延している。昨年11月、元日本軍「慰安婦」に、著書『帝国の慰安婦』での名誉毀損で告訴された朴裕河氏の在宅起訴はまるで国家権力による政治弾圧という報道だった。「有識者」が出した起訴への抗議声明の「この本によって元慰安婦の方々の名誉が傷ついたとは思え」ないなどという文言が被害者無視を雄弁に物語る。
 日本政府が執拗に撤去を求める少女像への中傷も激しい。少女像が柳寛順に似ており少女の"処女性"は韓国ナショナリズムの虚構、とさえ言う者がいる。柳寛順の写真がネットで簡単に見られる時代に、このような妄言を垂れ流す日本の「知識人」の下劣な主張も批判されねばなるまい。残された時間は少ない。 (原田成人)