週刊金曜日 編集後記

1070号

▼本当に責任を痛感し、おわびをしたいなら、条件など出さないだろう。2015年12月28日に日本と韓国両政府が「慰安婦」問題で「合意」したという。が、具体的に何に責任を感じているのか不明で、当事者そっちのけではないか。
 つい先日まで「強制性を示す資料はない」などと言いつのっていた同じ口で、札束で横っ面をひっぱたくような「条件付きおわび」をすることが、世界に恥を晒しているのも同然だということに、この男は気づきもしない。
 少女像を撤去しろ? 最終的解決? 歴史的事実を伝えるための象徴を、日本の教科書の記述のように除去したいのだろうが、被害者の思いを踏みにじるものだ。「昨日(の合意)をもってすべて終わりだ。もう謝罪しない」「これで約束を破ったら韓国は国際社会の一員として終わる」。これがこの男の本音だろう。これでは謝罪ではなく脅しではないか。カネで尊厳を冒涜する政権に、今年こそ終止符を打つべきだ。 (片岡伸行)

▼「民主か独裁か」----「60年安保」の合言葉の発信者・竹内好について鶴見俊輔氏が、『竹内好』(岩波現代文庫)で安保闘争後の竹内の生き方に触れ、共感を込めて語った文章に今も強く惹かれる。「民衆運動の波は去ってゆき、なまなましい記憶はうすらぐ。このとき不服従の運動はどのように保たれていくか。それは生き続ける個人の内部にあってその日常の生活によってである」----と。
 半世紀以上経った「二〇一五年安保闘争」(山本義隆氏)は、「民主か独裁か」といった二分法で割り切れないし、それこそ「金融独裁」(太田昌国氏、中山智香子氏)が生活の隅々まで支配していることの証かもしれない。しかし、闘争後の「不服従の運動」の基盤が「生き続ける個人の内部にあってその日常の生活によってである」ことは、現在も変わらないのではないか。「酔い心地を」大切にする栗原康氏の原稿を、私も酒を片手に読みながらそう思う。(山村清二)

▼「『個人番号カード』の申請を済ませた人は1割ほどにとどまっていて、政府は相当に焦っている」「とくに銀行への圧力は恫喝に近くなっている。頻繁に銀行関係者は政府のヒアリングに呼ばれ、どうにかマイナンバーを早期に銀行で活用する方法を考えろとどやされている。政府も必死だ」
 こんな声が政府関係者から聞こえてくる。約1割の未配達・未受理を残し、マイナンバーが記された「通知カード」は全国に配達されたが、ICチップを搭載した「個人番号カード」の申請は振るわない。銀行口座へのマイナンバーの紐付けは、2018年から任意で、21年からは義務となる予定だ。前述の政府関係者の話からしても、政府がカネの動きを把握しようとする目論見が透ける。そんなことをさせないためにも、「個人番号カード」を申請しないこと、周りにも呼びかけることが第一だ。政府は焦っている。もっと焦らせなければいけない。 (渡部睦美)

▼新年を迎えるにあたって、視力の衰えを感じている。近視と乱視に老眼も加わり日常生活で眼鏡は手放せない。眼鏡着用の視力検査で、視力が落ちているはずだったが、なんと数値が良くなっているではないか。心当たりがあった。今回は「わかりません」ではなく、とりあえず当てずっぽうで答えてみたのだ。これでは正確な視力の判定はできない。良い子は決してマネしないようにね。
 ところで、昨年を表す漢字は「安」だったという。安保法案を強行採決。食の安全を脅かすTPP。安全とはいえない原発再稼働。安倍政権の暴挙であり、全てが不安なものばかりの「安」。なお、小誌の定期購読も配送がヤマトメール便からゆうメール便に変わり、購読料金の価格改定も行なった。読者の皆様には何かと、戸惑いとご不便おかけしましたが、日々改善し安心していただけるように努めて参ります。今年もよろしくお願い申し上げます。(原口広矢)