週刊金曜日 編集後記

1067号

▼冤罪・大逆事件で幸徳秋水ら12人が死刑に処せられてから約1週間後の1911(明治44)年2月1日、小説家の徳冨蘆花は旧制第一高等学校(現・東京大学)で講演し、次のように述べた。
<肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂の死である。人が教えらえたる信条のままに執着し、言わせらるるごとく言い、させらるるごとくふるまい、型から鋳出した人形のごとく形式的に生活の安を偸んで、一切の自立自信、自化自発を失う時、すなわちこれ霊魂の死である。我らは生きねばならぬ。生きるために謀叛しなければならぬ>(『謀叛論(草稿)』)
 安倍晋三政権を批判すれば、偏向だと炎上する事例が相次いでいる。当時ほどではないが、時代は暗い。謀反を進められるとドキッとするが、要は自分の頭で考えること、<人格を研くことを怠ってはならぬ>(同書)ということだ。
 11月27日号に登場いただいた土取利行さんの公演『唖蝉坊演歌と明治大正の叛骨歌』が来年1月11日、東京・両国のシアターχである。秋水や大杉栄を讃えた歌も紹介されるという。 (伊田浩之)

▼21世紀が始まって15年が過ぎようとしている今、改めて思う。「子どもたちが殺される」とは、どういうことか。自分で身を守る術を知らず、社会、国家にいかなる責任も取りようにもない彼ら、彼女らが殺されるのだ。かつて湾岸戦争後の米英主導による経済制裁によって、推計50万人のイラクの子どもたちが殺された際、米国務長官だったオルブライトは、「そうするだけに値する」とうそぶいた。正気なのか。そうした「戦争の世紀」が終わったと思ったら、米国はすぐにアフガニスタンとイラクで戦争を始め、統計を取りようがないほど子どもたちを殺害した。軍産複合体という化物が支配し、シリアでは内戦と称される間接侵略で大量の子どもたちを難民に追いやっている米国に、もはや理性や人道主義を期待するのは愚かだ。もっと愚かで醜悪なのは安倍一派とその御用紙が、かの国に媚びへつらいの限りを尽くす一方、中韓にだけは「情報戦」だの「歴史戦」だのと息巻く姿だろう。この宗主国と属国は、常軌の逸脱という点では共通なのか。 (成澤宗男)

▼本誌でもおなじみのイラストレーター・伊波二郎さんの実姉、伊波雅子さんの単行本『オムツ党、走る!』(講談社)を読んだ。
 著者略歴によると、大学進学を機に上京。演劇関係の仕事にたずさわっていたが、2002年、身内の介護のため帰郷。2011年、10年間の介護体験をもとに「オムツ党、走る!」を執筆。その年の沖縄タイムス社主催「第37回新沖縄文学賞」を受賞。本書はこれをさらに加筆改稿したものだ。
 那覇市にある老人介護施設「がじゅまる」で暮らすおばあたちの日々の暮らしの中から見えてくる介護現場のリアルな実情や沖縄の歴史、基地問題などを「沖縄のおばあの視点」で軽妙に書いている。10年間の介護体験という裏打ちがあるから書ける深い話だ。
 最近、「下流老人」が社会問題として浮上している。何もかも社会のせいにするのは乱暴すぎるかもしれないが、衣食住の「住」が高すぎることも大きな要因だと思う。「生きる」ことや「老い」について、そして「死」について、自分の頭でもう少しきちんと考えてみよう。 (本田政昭)

▼映画『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』がいよいよ公開される。アップルの新製品並に徹底したティザー戦略(情報を小出しにし、焦らすことで、好奇心を喚起させる手法)で、事前情報が少ない。ルークは暗黒面に堕ちたのか、ジェダイや暗黒面では計れない新たな力が覚醒したのか、など、いちファンとして興味は尽きない。
 過日、国連の「表現の自由」をめぐる訪問調査を日本政府が延期させていたことが発覚した。隠しても最後には公開する映画や商品とは違い、ここの政府は常に隠蔽体質だ。自分に都合の悪いことを報道しようものなら、平気で圧力をかけてくる。個人や企業、最近はBPO(放送倫理・番組向上機構)にまでその手は及ぶ。国連の調査を拒絶するのも納得だ。
 劇中の隠蔽国家「銀河帝国」は、自ら紛争を勃発させ、それを力で抑えこむことで支持率を上げ、独裁体制を敷いた。これは日本が従属するかの国と同じ。暗黒卿、そして帝国の最期がどうなったか、新作を観に行く前に復習しておくことをお薦めしたい。 (尹史承)