週刊金曜日 編集後記

1065号

▼11月11日は「ポッキーの日」というそうだが、2年前から特別な日になった。娘の友だちが亡くなったからだ。
 今年は街路樹の合間からのぞく太陽をあおぎみながら、当時のことを思い返した。すてきな絵を描き、ピアノが上手で物怖じしない「学校中で有名」な女の子。以前からときどき入院することはあったので、その時もきっとまた元気に戻ってくるとみんなは思っていたそうだ。
 その年の11月中旬に開かれた展覧会では、彼女の絵も飾られていた。病室から中庭を描いたと思わせる構図だった。不思議な種からうまれる未来がモチーフだったが、「医学」ということばが絵の中に書かれていた。そのことばに彼女はどんな思いをこめていたのだろう。華々しい進歩が語られる現代医学といえども、この小さな子どもひとりも守り得ない、その現実に打ちのめされた気がした。
 パリでは多くの人たちが亡くなり、傷ついた。理不尽なことで命を奪われた人たちを前にして、私たちは祈るしかないのだろうか。(小林和子)

▼小社刊行の『私の1960年代』に、"東大闘争"における丸山眞男への、山本義隆さんの批判がある。<学生による文学部学部長闘争は「人権の蹂躙」> とする声明に署名した丸山に対し、<東大の支配体制は丸山が批判した大日本帝国とおなじような体制なのになぜ批判しないのか><外に言っていることと学内でやっていることが違うじゃないか>と、「ダブルスタンダードを批判」したものだ。
 印象的だったのは、当時、山本さんの批判に若い学生から「丸山眞男のやっていることはあの人物の思想から出てきたと言わなくてはダメです」と言われて、「そういう理屈は大変よくわかるけれども」「戦後のリベラルな知識人の(......)思想」も「東京大学という特別に恵まれた場においてこそありえたのではないか」と考えたという話。この学生の言う"内在的批判"は、私などもこだわることが多いだけに、山本さんのシンプルな考え方が、逆に新鮮だった。「外に言っていること」と「内でやっていることが違う」厚顔無恥な人たちが、今の時代、あまりにも跋扈しているし。 (山村清二)

▼ヨルダンに避難するシリア難民の子どもたちに教育支援をしている「国境なき子どもたち」(KnK、寺田朗子会長、東京・新宿区)が、支援対象者やシリア難民を撮影した写真展を9月、新宿で開き、フォトジャーナリスト安田菜津紀さんの写真40点が展示された。「『私たちを苦しめているのは世界から関心をむけられていないこと』という一人の難民の男性の言葉が深く心に刻まれています。皆様がこうして心を寄せて下さることが、帰る日を待つ人々の希望をきっとつないでいきます」と、ウェブ上に写真展へ寄せた安田さんのメッセージが記されている。
 皮肉にも、今回のパリの同時多発テロ事件は、避難民に紛れて犯人が入国したのではないかとの報道で、いまや難民が望まない形で世界中の関心が集まってしまった。難民支援の流れがこれで止まってしまうのではないかと気がもめる。定期的に届くKnKのニュースレターを開くと、いつも子どもたちの笑顔が飛び出してくる。子どもたちの笑顔が問題解決にUがることを祈りたい。 (柳百合子)

▼南京大虐殺の「世界記憶遺産」登録をめぐり大手マスコミは南京大虐殺の「犠牲者数」が問題であるかのような報道に終始した。また、中国のユネスコへの申請自体が「政治的」という報道も目に付いた。こうした言説が歴史修正主義に傾斜していることは言うまでもない。申請が「政治的」な行為になり得るのは、日本での否定論の跋扈が原因だ。同時に登録された「シベリア抑留関連資料」にロシアが「政治利用」と抗議をしてきた件をみればわかりやすい。もっともそこまでせずとも、政府自らユネスコの分担金拠出停止をちらつかせることによって日本によるユネスコの「政治利用」を盛大にアピールしてしまったのだが。
 南京大虐殺から78年経って、ネットとマスメディアでお手軽な否定論が吹き荒れるなか、南京戦に参加した兵士たちを一人一人訪ね歩いて証言を集めた小野賢二さんを紹介した日本テレビ製作のドキュメンタリーが話題になった。その小野さんを交えたミニシンポが12月12日原宿の穏田区民会館で開かれる。 (原田成人)