週刊金曜日 編集後記

1064号

▼パリで11月13日に起きたテロ事件に関し、安倍晋三首相は訪問先のトルコで「断固非難する」との表明をした。が、彼らの標的は「欧米と価値観を共有する国々」であり、日本もその一員である。9月に成立した「戦争法」は、米国の戦争支援に加担する道を開いた。日本の「危機事態」を自ら招きかねない軍事上の態度表明であるから、海外にいる日本人や日本企業を含めて、そのリスクはより高まっているという認識が必要だ。
 紛争や貧困・格差、環境問題など多くの難題を抱える国際社会の中で日本の役割はどうあるべきか。ある特定の民族や宗教を敵視し抹殺することで、問題の解決が図られた歴史はない。むしろ問題を内在化させ、複雑化し、解決から遠ざける。「断固非難」の裏で人を殺傷する武器をせっせと輸出し設けている国は「断固非難」されないのか。殺し殺される世界を誰も望まない。今必要なのは戦争法制ではなく平和法制だ。それこそが植民地支配と侵略加害国であり原爆被害国でもある日本の立ち位置にふさわしい。 (片岡伸行)

▼映画『スラムドッグ・ミリオネア』の原作のヒントとなったのが、スガタ・ミトラ博士の「壁の穴」実験。人工知能・認知科学等の専門家であるミトラ博士は、1999年にインドのニューデリーの貧しい地域の公共空間の壁に穴を開け、インターネットに接続したPCを埋め込み、大人は干渉せずに、そこに暮らす子どもたちがどのような行動をするのか、実験した。
 子どもたちは、遊びながら、PCの技術と英語を自分たちで学び、インターネット検索によって、さまざまな知識を得ていく事がわかった。博士は、大人の干渉を極力行なわない教育理論を唱えている。子どもは、好奇心を持ち、自分で学ぶ事ができる。大人にできる事は、求めに応じて、助言し環境を提供する事ぐらいだ。
 現在、多様な教育機会確保法案で、学校外の学びを「義務教育」に組み込もうとする動きがある。ミトラ博士が実証した学びの本質を理解せずに、学校外の学びを選んだ親と子どもを縛る事になる。教育を選ぶ基本的人権を侵害する事である。 (樋口惠)

▼「春画展」を見に行きました。見ると聞くとでは大違い、もっと「恥じらい」感のあるものかと思っていたら、なんともあからさまじゃありませんか。私、まったくの美術オンチで、11月13日号の特集にあったような、春画の芸術性とか歴史的位置づけとかは全然わからないのですが、いつの時代も人はエッチに興味津々、写真も動画もない時代、春画はクスクス笑いながら見る、下世話な娯楽だったのだな----と思いました。掛け軸に仕立ててあるものもありましたが、床の間に飾ってあってもねー。コソッと見るからおもしろいんですよねー、きっと。
 ビデオやパソコンなど、過去、新しいメディアが普及するための裏役者はアダルトソフトだったという定説があります。それを踏まえると、米『プレイボーイ』誌が来年3月からヌード掲載をやめると発表した件、もちろんヌードはきらいなんですけど、そんな私ですら、このニュースには考えさせられました。雑誌メディアはどうなるのかな? (渡辺妙子)

▼定期購読の新システム移行にあたって昨年の今頃は四苦八苦していたことを思い出す。あれもこれもとやることが山積していたため、早朝に出社して打ち合わせしたことも。心配した大きなトラブルはなく移行できたが、運用面ではまだ課題もあり試行錯誤が続いている。だいぶ新システムに慣れてきたとはいえ、毎週の発送処理と月末の自動引落の請求処理は、ミスが許されないので緊張する作業だ。
 そんな緊張も原因なのか、数年ぶりに胃が痛み出したため、内視鏡検査を受けた。びらんがあるので、念のため(組織を)つまんでおきましょうとのこと。寿司じゃあるまいし。検査後、撮影した胃の内部写真を見せてもらった。さながら『ミクロの決死圏』だな。ヒトの胃は皆同じなのに、差別がなくならないのは残念だ。ちなみに「たこいぼびらん」というそうだ。潰瘍の子どもみたいなものらしい。連れ合いに報告したら、あろうことか「たこいぼちゃんってかわいい」だと。育つと困る胃にまつわる深イイ話。 (原口広矢)