週刊金曜日 編集後記

1053号

▼「憲法違反」と多くの学者や識者、市民から指摘されながら、それを無視し、「戦争法制」成立へと突き進む安倍政権は、憲法尊重・擁護義務(憲法99条)に違反する違憲内閣だろう。憲法の内実を勝手に変更しようとするたぶれた内閣をこれ以上のさばらせていいのか。戦後70年にしてこれほどひどい内閣に国の進路を委ねてしまったのはわれわれ国民だが、であれば、われわれの手で進路変更もできるはずだ。全国各地で今、「戦争法制をつぶす!」「安倍政権を倒す!」若者たちの抗議の声が上がる。もちろん若者だけではない。その声は今や燎原の火のごとく全土に広がりつつある。かりに自民と公明両党が数の力で戦争法制を通そうとするなら、われわれも数の力で世界憲政史上例のない「100万人違憲訴訟」をぶちあげたらどうか。この違憲内閣を、いやこの二つの政党ごと、彼らが壊そうとしている憲法の裁きの下に引きずり出し、被告席に座らせるのだ。原告は少なくとも100万人単位でいるだろう。(片岡伸行)

▼<あまりにも残酷で、初めの1枚目のシャッターを切るまでに30分は躊躇し、この辺りをうろうろした。(撮影:松重美人)>
 人類へ初めて原子爆弾が投下されてから70年。7月23日〜26日、東京・文京シビックセンターで「原爆投下70年--広島・長崎写真展」が開催された。広島と長崎に投下された原爆の被害の様子を捉えた『決定版 広島原爆写真集』、『決定版 長崎原爆写真集』(共に勉誠出版)刊行を記念し、収録写真から約80点を厳選しての展示だ。開催期間は短かったが、多くの人が訪れ、「被爆直後」の惨状を記録した写真に見入っていた。
 この本に関わった新藤健一氏によると、写真集が東京堂書店(8月31日まで店内で<!広島・長崎原爆写真展> を開催中)の店頭に並んだのは「原爆の日」の直前だったという。ギリギリの進行で編集はひと月で一気に仕上げたとも聞く。監修の「反核・写真運動」や現場関係者の「心意気」に胸を打たれる。本誌も今週号で「ナガサキ」を掲載した。合掌。(本田政昭)

▼YouTubeで配信されている元ちとせの曲「腰まで泥まみれ」に圧倒された。民謡で培った独特の声質と節回しは好き嫌いが分かれるようだが(私は好き)、キレのある映像と相まって、強烈に訴えてくる。
「腰まで泥まみれ」は、米国のフォークシンガー、ピート・シーガーの傑作。中川五郎による訳詞が秀逸で、日本でも60年代後半から盛んに歌われたが、21世紀のこの国のいま、恐ろしいほどのリアリティで迫ってくる。
 深いぬかるみに泥まみれになりながら進む軍隊。危険だからと撤退を訴える下士官に耳を貸さず、ひたすら前進する隊長。「だが馬鹿は叫ぶ『進め』!」と繰り返される「馬鹿」を、戦後70年の現在、誰と重ねるかは「あなたの自由」。
 1953年に米国から返還された奄美大島出身の元ちとせ。戦後60年の2005年から、被爆をテーマにした坂本龍一とのコラボ曲「死んだ女の子」を被爆地などで歌い続けているが、この2曲を含むアルバム『平和元年』はさらに一歩踏み出し、必聴。 (山村清二)

▼「全国戦没者追悼式」での天皇明仁の発言に期待する人たちがいたらしい。実際の発言は例年通りのテンプレートにしか読めなかったが、人によっては夢がいっぱい詰まった言葉だったのかもしれない。天皇の存在は「お言葉」を勝手に忖度する人びとによって支えられてきたのだろう。
 こういう話をすると「今の天皇は特別」という反応をされるが、中嶋啓明さんが指摘するように即位の際に「大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし」ている「お言葉」を「汝臣民」は耳の穴をかっぽじって聞くべきだろう。ちなみに同じ「お言葉」で裕仁は「御在位60有余年、ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され」たことになっている。しかし、裕仁の感覚は「原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思ってますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむを得ないことと私は思ってます」という1975年の「ご発言」に端的に表れているのではなかろうか。(原田成人)