週刊金曜日 編集後記

1049号

▼小室等さんは東京・東中野のポレポレ坐でふた月に1回の割合で「コムロ寄席」をひらいている。現在は、永六輔さんと矢崎泰久さんが交代で出演。7月16日の矢崎さんの番外篇「寺山修司を語る」に行ってきた。  和田誠さんに紹介された最初の出会いから寺山さんに『話の特集』の危機を救われた話、1980年の渋谷「のぞき」事件(矢崎さんは寺山の身元引受人だった)の真相まで「寺山修司への想い」はつきない。その間合いに、小室さんの「時には母のない子のように」が入るのだから贅沢だ。
 対話の全容はタウン誌『街から』でシリーズ化されているのでお読みください。編集者から見た、井上ひさしや色川武大の裏面史も異色な人間性が垣間見られます。 「コムロ寄席」次回9月は永さん、11月は矢崎さんで「筑紫哲也を語る」予定です。問合せ・申し込みはポレポレタイムス社(03・3227・1405)まで。 (土井伸一郎)

▼戦後70年という。だが、「自民党60年」という現実は深刻極まる。1955年にこの「政党」が誕生してから60年間、二度の短い断絶期を除き、常にこの国の民は自民党を与党に据えてきた。とどのつまりが、7月15日の衆院安保特別委員会での強行採決だ。憲法違反という批判に反論不能なまま、これほどのことをやらかして恥じないような徒党が、なぜいつまでたっても「与党」なのだ。「内閣の支持率が逆転」? 冗談ではない。2013年末の秘密保護法の無茶苦茶な強行採決は、「逆転」に値しなかったのか。昨年7月の集団的自衛権行使容認に憲法解釈を勝手に変更した閣議決定は、どうなのだ。60年間、すべてこの調子だ。こんな利権集団に性懲りもなく票をくれてやり続けている愚鈍な連中と一緒くたに「国民」とされ、今度は多額の戦費を税金として巻き上げられる目に遭いそうなのは、不条理でなくて何なのか。せめてそれほど戦争がしたければ、「自民党党員」とその支持者、そして某巨大新興宗教の信者だけが、外国で血を流すがいい。 (成澤宗男)

▼就活真っ盛り。今話題の {意識高い系} なる言葉は、就活の面接などで過剰に自己演出する学生を揶揄したネットスラング(俗語)。経歴を詐称したり、人脈をひけらかしたり、自分が、さも特別であるかの如く振る舞う学生が昨今増えているらしい。意識が高い人間を演じたい。これは一種の劣等感の裏返しだろう。自分に自信がないから、上辺だけでも大きく見せたい、自分の優位性を示したいから平気で他者を貶める。
 どこかの政権にも似たような者がいる。オリンピック招致で「汚染水はコントロールできている」と風呂敷を広げてみせたり、米議会にて格好付けて英語でスピーチしてみたり。そして、なぜか安保法案成立をその国に約束したり。あなたはどこの国の首相ですか?  就活だとその手の軽い人間は、簡単に見透かされ、落とされるようなので、彼に不採用通知が届くのもそう遠くはないだろう。主権在民。彼に評価を下すのは、米国ではないのだから。 (尹史承)

▼「『戦後』の上半身をつくったのは丸山眞男、下半身をつくったのは(田中)角栄」。こう語ったのは元『朝日新聞』編集委員などを歴任された早野透さん。弊誌編集委員・佐高信は先の言葉を「丸山さんが知性によって戦後民主主義の原点を提示したとすると、角栄は肉体によって、存在によって、草の根というものの在り処を表現し続けた」と述べている。 「戦後レジームからの脱却」とやらを掲げている安倍政権の暴走が止まらない今、「丸山眞男と田中角栄」をテーマに講演会を開催する。「民主主義」を私たち自身がどう実現していくべきかを考えたい。
 一方、現在編集を進めている1960年代の本で、早野さんや佐高とは異なる丸山眞男評価を拝読した。もちろん全否定している内容ではないが貴重な意見だ。この本ができたら、お二人の意見を伺いたいと思っている。 (赤岩友香)