週刊金曜日 編集後記

739号

▼閉ざされた社会の中で孤立させられ疲労と強制によって思考を奪われた個人は、いかに過酷な状況を強いられようとも、これが当たり前で普通なのだと思い込まされ、自分自身に責めを負わせてしまう。

 学生時代のアルバイト先だったファミレスの店長が思い浮かぶ。彼は、唯一の楽しみと言っていた控え室での会話中もつねに眠りに落ちてしまうほど働いていた。創業者を誇り、自己批判を口にする彼を、私も無知ゆえに当たり前だと思っていた。

『セブン-イレブンの正体』は、そうではないのだと告発する書である。本書をなんとかして、目をふさがれ追い詰められている関係当事者の目に触れさせたい。生存を守るための武器として手にしてもらいたい。

 コンビニ業界紙『コンビニエンスストア新聞』(流通産業新聞社)とチェーンストア業界紙『日刊流通ジャーナル』(流通ジャーナル)は、『セブン-イレブンの正体』の広告掲載を拒否した。次の手段をすぐに考えなければ。 (高橋望)

▼おそらくいつの時代も、人間の理性や良心といった存在は孤立と不遇の中に置かれるのが常なのだろう。いつも時の主流は、世の不条理やそれによって生み出される他者の苦悩に対する憤りではなく、我が身かわいさに徹する作法と多勢に異を唱えるごとき言動の慎みなのかもしれない。だが、主流か何かという問題は、人間にとって最もかけがえのない精神的在り方とは何かという設問の回答ではない。もしジャーナリズムという仕事が何程かの意味を持つとしたら、それは世の主流がどうあれ、気付くべき課題、求められる行動と態度について、どこまで事実という説得性を伴って提示できるかということに尽きよう。そして今、超大国による八年間の欺瞞と流血、破壊の犯罪行為が、肌の色だけが前任者と異なる別の指導者によって引き継がれながら、その指導者を世界がいまだ歓呼に包んでいる。私たちは、この現状への批判という新たな任務に立ち向かう。孤立は甘受するが、妥協のペンは本誌の選択肢にはない。(成澤宗男)

▼ものすごく落ち込んでしまって食事も喉を通らない時、それでも何か食べないと……と思っていた時に、親しくしている編集者・Nさんに教えていただいたレシピがある。タマネギ一個とセロリ一本をみじん切りにしてコンソメブイヨンで煮込むだけ。部屋中に野菜の優しい香りが広がって、ぼろぼろの胃腸にもちょっとずつ染み入っていくような気がした。これを一週間続けると、効果テキメンらしい。

 Nさんは、亡くなったお連れ合いさんからこの料理を伝授してもらったという。一度も会ったことがなかった人から、時間を隔てて、その人の優しさ、強さの欠片をもらったようで、とても不思議だなと思った。「知識」と「知恵」は全然違うものだ、とよく言われるけれど、生きていくためのこういう知恵は、本当に大事なものだと痛感した。そもそもセロリを初めてスーパーで買ったのだ。いつかもっと知恵をつけて、同じように誰かを元気にできたら、とても素敵なことだなと思った。(山口舞子)

▼ラグビーの日本選手権出場をトップリーグ覇者である東芝ブレイブルーパスが辞退した。ドーピング検査で部員の一人から、大麻に含まれる物質が検出されたためだ。どんな理由であれ禁止薬物の使用はルール違反。でも、なんでチーム全体が出場辞退しなきゃいけないの? 日本スポーツ界の連帯責任的な振るまいが嫌いだ。一人のせいでみんなが迷惑する、という発想。当人たちはそんなこと思っていないのかもしれないけど。

 連帯責任的な発想と「スポーツ精神」は本来、相反するもののはずだ。個人競技であれ、団体競技であれ、個人の自由が最大限尊重されるからこそのチームワークであり、一人ひとりが自ら責任をもって自由に発想し、プレイ(遊び)しあうからこそスポーツは面白い。それが人々を魅了し、感動させるような素晴らしいプレイを生みだすのだ。

 日本スポーツ界は「自由」に慣れていない。そんな気がしている。だから、世界で勝つことができないのだと。(ゆげたりえ)