週刊金曜日 編集後記

737号

▼『金曜日』のホームページをリニューアルして約一カ月経った一二月初旬、突然ホームページのアクセス数が急増しました。一二月五日号に掲載された「金曜アンテナ」の国籍法改正に関連した記事が原因で、多くが「改正」を「改悪」としているサイトからのアクセスでした。そうした「国籍法改悪反対」サイトでは、国籍法の問題と「認知」の定義の問題を混同した主張や、改正案が「子どもの人身売買につながるんじゃ!」という、改正反対論を展開していました。このような反対論にはきちんとした反論も行なわれ、ネット上でも場所によってはまともな結論が優勢となって議論が収束したようです。この騒動に限らず、背景に悪意の見え隠れするリベラルを装ったネットの主張を中立気取りの人々が擁護する現象は、きちんと検証しなければならないのでは?と思います。「ネットの主張につきあう必要はない」と考える人もいるようですが、この騒動で変な主張をしていた議員の行動にネットが影響したのは見過ごせない事実ではないでしょうか。(原田成人)

▼「シェイムフル(恥さらし)」と強い口調で友人は言った。いつも穏和な彼にしては珍しかった。ニューヨーク州アルバーニーに住む友人は、ブッシュ前大統領らの政策をこう語った。「社会福祉や教育費を削って、世界で戦争をしかける彼らをアメリカ市民として恥ずかしいと思う。チェイニーは軍需産業の役員で、戦争によって自分たちだけが儲けているのだから」。

 大統領就任式、二〇〇万人とも言われる人々が集まった。その中にニューヨークの友人たちも会場から二キロも離れた場所で零下の気温の中、巨大なモニターに映るオバマに声援を送った。変化を求めて彼らはオバマに期待する。

 コロンビア大学ジョセフ・マサド准教授は、サイードの弟子で友人でもあった。イスラエルの自衛権を支持するオバマを彼は痛烈に批判する。パレスチナ人の帰還権を語らずして、問題は解決するのだろうか。人々の血が流されたガザの土地で、パレスチナ人たちは米国とアラブ諸国、世界の大国に支持されたイスラエルに対して徹底的に闘いを続ける。(樋口惠)

▼先週は東京大学大学院教授の神野直彦さんが講師に招かれた神奈川県保険医協会主催の勉強会で、北欧の社会保障を中心とする興味深い話を伺った。今回の医療費特集でもあらためて確認したが、国家は必要不可欠なものを必要に応じて国民に配るものだ。しかも現金ではなくできる限り現物(必要)でサービスを与える。現金だとミミッキングというニセの受給(欲望)が起きるからだ。「必要」は「欲望」ではないので膨らまない。

 もちろんわが国の法律(法定給付)もこの理念を活かし?国民皆保険の上で医療の現物給付をうたっている。だが、いつのまにか窓口で三割とか負担させられている。しかも介護だ、後期高齢者だと民間保険のような負担のさせ方だ。

 神野さん曰く、日本人は骨の髄まで市場原理が染みついているので、いくばくかの負担をしなければと考えてしまい、しかも「公」をまったく理解していないとのこと。公とは本来、社会の誰をも排除しないという発想だそうだが、日本では民の反対語としての発想しかないのが残念だ。(平井康嗣)

▼映画『20世紀少年<第一章>』をテレビで見た。主題歌として使用されたT・レックスの『20センチュリー・ボーイ』は、中学校の給食の時間に校内放送で流れていた名曲である。懐かしくもアホらしい時代、胸がキュンとなる。

 この映画、ボブ・ディランの匂いがする。ディランの歌う“やらなきゃならないことをやるだけさ” というあの感じだ。“人生ってヤツは、決して自分などを捜す旅ではない”ということとか、その他もろもろ……。よし、封切りされた <第二章> を観に映画館へ行くぞ。

 一月九日号掲載の「our face」に続き、本号では、北野謙氏のもうひとつのプロジェクト「one day」を掲載しました。前回に続き、東川光二氏が北野氏にインタビューし構成。「写真とは何か」を考える手がかりになる言葉の数々。できれば併せて読んでみてください。一月九日号の目次で「写真・北野謙 文・東川光二」と表記しましたが、掲載頁の表記と違うのではという指摘を受け、今週号の目次では、東川氏の了解のもと「東川光二」のクレジットをとりました。(本田政昭)