六月末に締め切りました第二二回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」には二九編のご応募をいただきました。審査の結果、二作品が入選しました。入選作は次の通りです。
該当なし
該当なし
河野啓
ズリ山と市長選
過ぎてゆく夕張
三井マリ子
世界で最も住みやすい町
該当なし
第二二回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」の審査は、雨宮処凛、佐高信、中島岳志の三編集委員に、編集長、副編集長らを合わせた計九人で行ないました。四作品が最終審査に残りましたが、大賞、優秀賞の該当はなし。このため、受賞作品の誌面紹介はしない予定です。ご了承ください。
佳作二点の筆者は社会問題を調査報告する専門家です。まだまだ磨き上げることはできたという不満を多くの審査員が共有していましたが、ルポの体裁をなしていない作品が大勢であったことが受賞の追い風となりました。全体では例年同様、足を使わず机上で過去を振り返る体験記が目立ちました。私はよい取材原稿ができたときは三〇〇〇メートル級の山の頂に立ち、三六〇度地平が見渡せた感覚がつねに脳裏に蘇ります。たまたま体験した過去ではなく、能動的に歩き、ぎりぎりと追い求めた事実を形にしてほしい。
本賞を続けているのは、これからの日本のルポルタージュやノンフィクションを担う人物の後押しをしたいという想いからです。第二三回ルポ大賞はこれまで通り、来年六月末日締切で募集します。これまでは四〇〇字×五〇枚以内としていた制限を二〇〇枚へと増やします。二〇〇枚あれば一冊の本にもなります。
歩いて、見て、聞いて、考えて、悩んで、書かざるをえないから筆をとり、伝えてください。
私が優秀賞に推したのは、「ズリ山と市長選」。三〇歳の新市長が誕生した夕張の現状と、二〇年ぶりのリレーマラソン、そして炭鉱の歴史を描いている。
夕張への思い入れが存分に伝わってくる上、文章がいい。読みやすく、風景がありありと浮かび、人物も生き生きとしている。ただひとつ、ラストが少し楽観的すぎる気がした。希望を提示したいのは理解できるが、少し無理がある気がするのだ。強引に希望を持ってくるより、ありのままを描写した方が読者がそれぞれに希望を膨らませることができる。ある意味、ラストが読者への「押しつけ」になってしまっている。そこまでの展開がいいだけに、そこが残念な点だった。
次に、私が佳作に推したのは「ルポ・世界で最も住みやすい町」。ノルウェーの中でもとりわけ男女平等が進んだ町を緻密に取材している。テーマも取材内容も申し分ない。なのに、失礼を承知で申し上げれば、なんというか「教科書っぽい」のだ。事実の積み重ねだけでは上質なルポルタージュは成立しない。登場人物の多くは、きっともっともっと魅力的に描くことができる。テーマとは関係ない、一見「無駄」と思われる描写をすることの重要さに改めて気付かされた。
ここまで選評を書いて気付いたのは、ルポルタージュとは、「人」を描くことではないだろうか、ということだ。そのために、河野氏は一見取材にはなんの役にも立ちそうにない場所にも出向いていることが行間から伝わってくる。ルポはたぶん、「取材」だけでは成立しない。ちなみに私が「いいルポが書けた!」と思う時の取材場所は、なぜかほとんどの場合、居酒屋やデモ後の混乱、路上飲み会など、「取材」する気が一切なかった場面だということも付け加えておこう。
昨年の選評を私は次のように書き始めている。
「率直に言って、レベルはかなり低い。何を問題とし、どういう角度からルポをするのか。その必然性が伝わってくるものはほとんどなかった」
見出しは「ルポの原点に返れ」であり、結びはこうである。
「ルポは端的に言えば動詞が多用される。それの少ないルポは考えられないのである」
残念ながら、ほとんど同じことを書かざるをえない。動詞が活用され、必然性が伝わってくる作品はゼロだったからである。
本誌創刊時の編集委員だった石牟礼道子は、大宅壮一ノンフィクション賞を打診されて断った『苦海浄土』(講談社文庫)に、こういう叫びを取り上げた。
「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、四十二人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」
この言葉は私の耳に残って消えない。まさに方言が躍動している。土着の方言が強烈な訴求力を持っているこうした作品は、患者と共に生きる覚悟の中からしか生まれない。
外国に解決例を求める場合でも、その必然性が描かれなければ、単なる逃避になってしまう。
「会社国家」である日本を深く抉る作品が相変わらず登場しないとも毎度毎度言っているが、今年もそうであり、問題意識が研ぎすまされていないからではと、やはり苛立つ感じで応募作を読んだのである。
ルポでも研究でも同じで、優れた作品となる条件は「ファクト・ファインディング」(新しい事実の発見)と「新しい視点の導入」です。この二点がそろっていると読みごたえのある作品となりますが、逆を返せば両方が含まれていない作品は、読む価値があまりありません。特に後者の「視点」は重要です。「想像の範囲内」の作品ほど、つまらないものはありません。
では「新しい視点」は、どのようにすれば獲得できるのでしょうか。
私の経験上で言うと、重要なのは、調査をする以前に作ったプロポーザル(企画)が現場取材で破綻した瞬間にあります。プロポーザルは、あくまでも取材以前の構想のため、想定の範囲内の凡庸なものです。構想は現実を前にすると、常に綻び、破綻します。
ポイントはここからです。構図が破綻すると、多くの人はその破綻を取り繕おうとします。場合によっては、破綻部分は見なかったことにし、構図に適合的な事実を収拾しようとします。こうして出来上がったルポは、概ねつまらないものに仕上がります。机上で描いた図式を追認する作品など、面白い訳がありません。
優れたルポの書き手は、構想が破綻した瞬間に「これだ!」と直感します。そして、その破綻から、構図を再構成しようとします。ここに新しい視点が誕生するのです。
だから破綻を恐れてはいけません。破綻こそが希望なのです。破綻に向き合うことこそが、現実と向き合うことです。そこからルポははじまります。
今回、読ませていただいたルポは、正直言って想像の範囲内のものばかりでした。
私の、そして世界の常識を覆してください。
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