きんようブログ 社員エッセイを掲載。あの記事の裏話も読めるかも!?

わからないこと」はたくさんある

<北村肇の「多角多面」(30)>
[この国のゆくえ⑪…原子力発電所は人知を超えている]

「わからないこと」はたくさんある。でも、二種類に分けることはできる。人知を超えて「わからないこと」、わかっている人はいるが、私には「わからないこと」。

 東京電力は最近になってようやく、福島原発の1号機から3号機のすべてでメルトダウンが起きていたことを明らかにした。あまりにばかばかしくて毒づく気さえ失せる。そんなこと、多くの市民はとうにわかっていた。「わからないこと」であるように振る舞う東電がウソをついていることもわかっていた。

 ただ、まだまだ「わからないこと」が多い。4号機も含め、原子炉や使用済み核燃料を保管するプールがどんな状況になっているのか、事故から2ヶ月以上たったのに、それすらはっきりしない。

 さて、そこで考える。東電や政府は4機がいまどうなっていて、どんな危険性をはらんでいるのかについて、果たしてわかっているのだろうか。自分たちは知っているのに隠しているだけなのか。それとも本当にわからないのか――。隠蔽だとしたら許せない。でも、後者だとしたら、それはそれで背筋が冷たくなる。「手のつけようがない」ことを示すわけで、事故の収束どころか、破滅への道をひた走っていることになるからだ。

 そもそも、原子力発電自体、人知を超えて「わからないこと」と言えないか。いまから40年以上前、学生時代に「原発はダメ」と結論づけたのは、それが制御できない技術・システムだったからだ。コントロールできないのだから、何十の「壁」を作ろうと100%の安全を確保することはできない。

 しかも、廃棄物の処理には何の見通しも立っていない。80年代後半、科学技術庁(当時)の官僚にそのことを聞いた。答えはこうだった。「そのうち、だれかが開発しますよ」。そのうちとはいつなのか。これもまた、だれにも「わからないこと」である。

 高濃度の汚染水が漏れだしたとき、最初に使われたのは新聞紙とおがくずだった。このマンガのような事態は、原子力発電が制御できないシステムであることを、ものの見事に描いている。人知を超えるとは、「神の領域」ということだ。人間はどこまでいっても「神」になることはない。「神」は現実世界に存在しないからだ。「原子力発電は人類にとって夢の技術」など、まさに空想の世界の話なのである。(2011/5/20)